秀808の平凡日誌

第14話 牢獄

第14話 牢獄

 握り締めた拳に血が滲むほど扉を叩きつづけても、誰も助けには来てくれなかった。

 ここは、牢獄だ。

 鋼鉄の壁で仕切られた十メートルほどの部屋には、診察台と白い照明しかない。

 もともとは医務室であったそこから、棚や診療器具の類はすべて取り去られている。

 苦しみにもがく彼らが壊してしまうからだ。

 そして、薬品等の類もない。

 苦しみから逃れるために、彼らが自身を壊してしまうことを、あいつは恐れているのだ。

 レーシェルは薄く目を開け、うめきながらまた閉じる。

 照明の白い光が、目の奥に突き刺さって脳をかき回すように感じた。

 がたがた震えだすほどの寒気が襲ってくるかと思うと、すぐに燃えるように全身が熱くなる。

 四肢はずっと小刻みな痙攣を繰り返し、もう立つことも叶わない。

 部屋に閉じ込められている『お仲間』も、彼と同じ苦痛にさいなまれているのだろう。

 ラベルはさっきまで口汚く罵りながら、壁にがんがん頭をぶつけていた。

 その音が痛む頭に響き、殺してやりたいと本気で思った。

 ミーシャはずっと子供のようにすすり泣いている。

 『お仲間』とはいえ、レーシェルは彼らに親密感や共感を抱いたことなどただの一度もない。

 いや、彼らの存在を特別に意識したことさえない。

 それを言うならどんな人間も。

 ただ邪魔とか鬱陶しいとか意識することが、こういうふうにたまにあるばかりで。

 自分の周りを飛び回る虫と同じことだ。

 彼にとっては『敵』の方が、ずっと気持ちのいい存在に思える。

 叩き潰す一瞬の快感を与えてくれるからだ。

 そういうふうに、条件づけられている。

 今ある自分を、レーシェルは気に入っていた。

 最強の武器を駈り、『敵』をめちゃめちゃに破壊し、燃やし、血を流すことが最高に楽しい。

 それができるこの体におおむね満足している。

 ただ―――薬さえ充分に与えられている限りは。

 αプロフェス――それが、彼らの命運を握っている薬の名だ。

 彼らはこの薬を摂ることにより、常人離れした肉体、運動能力、耐久力を維持することができる。

 そして薬の効果が切れると、それは耐えがたい禁断症状をもたらす。

 先の戦闘のさなか、彼らが帰還せざるを得なくなったのは、この『時間切れ』のためだったのだ。

 はじめての実戦は、これまで経験した模擬戦よりも遥かにに高い運動性とストレス――そして快感を彼らに与えてくれた。

 おそらくそのために、薬の効果が持続しなかったのだろう。

 そして彼らは隔離された。

 薬を与えられることもなく、身の内を噛む苦痛とともに置き去りにされた。

 もう何時間放置されたかわからない。あるいは何日かもしれない。

 薬を打ち切られたら、彼らはこの苦しみの中、徐々に何もわからなくなり、死んでいくのだという。

 あいつは、俺たちを『処分』することに決めたんじゃないだろうか―――?

 苦痛と恐怖は、すでに時間という概念を失った彼らの前で、扉にかけられた鍵が外れる音が響くまでつづいた。
 
 ゆっくりと開かれた扉を、レーシェルたちは霞む目で見上げる。

 だが扉が開かれたとて、逃げることはできない。

 彼らを閉じ込めた牢獄は、彼ら自身の肉体なのだから。


© Rakuten Group, Inc.